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日本人の思想は生活慣習全般に埋め込まれているが、その中でも特に職の慣習を重視することに特徴をもつ。日本人にとって職はキリスト教のような原罪ではない。だから日本人はいかなる上流層でも職をもつ。また世界には、宗教、血族、一族、文化共同体などさまざまな強い絆があるが、日本人にとっては、家業(家督)をつぐ者は血族より重視されたように、血よりも職のつながりが重視されてきた。

日本人にとって職は生活の糧をえる、または生きがいを見つける以上の意味をもつ。職の集団に帰属することで儀礼を学び、社会的な位置をえる。日本人の多くは農民であったが彼らは武士の支配者層に多くの税を取られて搾取され、飢えに苦しんでいたという考えは、西洋の奴隷制を日本の歴史に当てはめた近代の誤謬である。

日本では農民は農業を営む職業として尊重された。自治権をもち、決まった税(多くにおいて古い土地測量に基づいていい加減だった)さえはらえば改善した分は自らのものになった。このために日本の農民の識字率は高く、農業書を読み、改良を試み、飛躍的に生産性が向上させた。

現代の日本人がかつての農民から受け継いでいるのは、決して勤勉さではなく、職に対する誇りと自主性である。近代的な勤勉さは時間効率に関係するが、前近代には時間的な効率の概念はなかった。仕事は時間に追われることなくマイペースで行われた。

また彼らは単に自らの利益をあげるために働いたのではない。言わば、農民という職業だから働いたのである。それは役割であり、慣習である。このような職の姿勢が日本人の思想である。

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なぜ日本人に思想はないのか - 第三の波平ブログ (via kotobanara)

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